[使い分け][主題/例示]~といい~といい与~といわず~といわず的用法


Aといい+Bといい+C:AやBのほかにも、Cになるものがある。
Aといわず+Bといわず+C:AやBをはじめ、すべてがCになる。

使い分け:
「AもBもC」がいえる場合、互換性がある。
例:吹雪のなかを戻ってきた夫は、頭と+いい/いわず+肩と+いい/いわず、全身これ雪まみれで、まるで雪達磨のような格好だった。
「Aと+いい/いわず+Bと+いい/いわず+C」は、AとBを例として提示し「AとBだけでなく、残りもC」という場合に使われる。
違いは、前者には「残り100%もC」といえる力がないのに対して、後者の「Aといわず+Bといわず」には、あとのCとの間に「そのすべてが/なにもかも/どこもかしこも」などが省略されていて、ただこれだけで「100%全部まるごとC」であることがほのめかせる点である。
したがって「頭といわず肩といわず、雪達磨」は、「頭や肩だけではなく、全身/姿/格好+すべてが雪達磨」になるが、これを「頭といい肩といい、雪達磨」にすると、全身ではなく「頭や肩やその他のそれぞれが雪達磨」となり、不自然になってしまう。
逆に「顔の色艶といい歩き方といい、お元気」は、元気に見える根拠として「顔の色艶と歩き方など」をあげ、そのどれをとっても「それぞれが元気そうだ」といっているだけであるか、これを「顔の色艶といわず歩き方といわず、お元気」にすると、「すべてが元気」といった響きにかわり、非現実になってしまう。
例1:吹雪のなかを戻ってきた夫は、頭といわず肩といわず、雪達磨のようだった。
例2:顔の色艶といい歩き方といい、おじいちゃん、本当にお元気になられましたね。

参考:
Aといい+Bといい+C:A与B还有别的,变成C那样。
Aといわず+Bといわず+C:A与B还有其他所有的、都变成C那样。
使い分け:
当有足够的背景说明,AB变成C不会引起误解的时候,可以互换。
例:吹雪のなかを戻ってきた夫は、頭と+いい/いわず+肩と+いい/いわず、全身これ雪まみれで、まるで雪達磨のような格好だった。
「Aと+いい/いわず+Bと+いい/いわず+C」是把A和B作为例子,「不只A和B,剩下的也C」这种情况下使用。
区别是,前者没有说明「剩下的100%都是C」这种意思,与此相对,省略「そのすべてが/なにもかも/どこもかしこも」这些表示全部的词不说,后者也隐含的表示「剩下的100%都是」。
因此,仅仅说「頭といわず肩といわず、雪達磨」就能表达除了头肩剩下的所有的都像雪人一样。但是换成「頭といい肩といい、雪達磨」的话,就表示除了头肩还有一些部分像雪人,表达不自然。
反过来,「顔の色艶といい歩き方といい、お元気」表示看上去健康的根据是面色和走路的样子还有别的什么的,换成「顔の色艶といわず歩き方といわず、お元気」就变成看上去健康的根据是所有的地方,不合实际。



AにすればB:Aという立場から、Aは「事態はB」と考えているらしい。
AとすればB:Aという立場から、Aは「行動Bを選択している」らしい。

使い分け:
「AにすればB」も「AとすればB」も、話し手が「もしAという立場であれば、Bであろう」という判断をしている点では共通している。
多くは「A1+に/と+すれば+B1+が/けど/のに/でも/しかし、A2+に/と+すれば+B2」という対比形式で使われる書き言葉であるか、話し言葉としても使われることがある。
対比の場合、一方を「~にすれば」にし、他方を「~とすれば」にして使うことも可能である。ただ、上にあげた例は、両者を識別するためのものなので、あえて同じ形を重ねて使っている。
どちらもA1とA2という二つの立場から、B1とB2という二つの事態を見つめる複眼的な視点を備えているので、Bの内容は、複雑で深刻な状況や事態を表すことが多いが、話し手がA1とA2の双方に対して、公平な立場をとるかどうかは、話し手の裁量次第なので、一概には言えない。
また、Aに「私/ぼく」などの一人称が使われていても、話し手は、自分自身を第三者に見たてて客観的な立場にある、ことを示すが、基本的には、自分自身にウエイトをおいた表現になることが多い。
例:おれ+に/と+すれば、頑張ってきたつもりだったんだけど、でも、おまえ+に/と+すれば、もっと頑張ってほしかったんだな?
上の例を使って、両者の違いをパラフレーズするど、次のようになる。
1.おれにすれば/おまえにすれば
これまで「おれは、とでも頑張っている」と思っていたんだが、おまえは「あまり頑張っていない」と考えていたんだな?
2.おれとすれば/おまえとすれば
これまだ「おれはサボりもせずに、とでも頑張ってきた」んだが、おまえは「もっと頑張ってほしかった」ようだな?

参考:
AにすればB:站在A的立场上,认为事态可能是B。
AとすればB:站在A的立场上,可能采取行动B。
使い分け:
「AにすればB」和「AとすればB」在表示说话人判断“站在A的立场上,应该是B”时,两者是共通的。
多数情况下,「A1+に/と+すれば+B1+が/けど/のに/でも/しかし、A2+に/と+すれば+B2」作为书面语出现,也有用作口语的时候。
在表示对比的时候、一方用「~にすれば」,其他用「~とすれば」也是可以。但是、在上面的例子中、为了区分两者、用相同的形式重叠使用也是可行的。
两者都是在A1与A2立场上,以多角度看待B1和B2两种事态,对于B的内容,是表示事态或情况的复杂深刻,还是表示说话人在A1与A2的立场上公平的对待,取决于说话人,不能一概而论。
并且,当A是第一人称时,通常表示说话人自己以第三者的角度公平的看待B,基本上,是为了增加自己说话的分量。
例:おれ+に/と+すれば、頑張ってきたつもりだったんだけど、でも、おまえ+に/と+すれば、もっと頑張ってほしかったんだな?
对于这个例子,两者的区别如下。
1.おれにすれば/おまえにすれば
到现在为止,我认为我一直在努力,而你却认为我基本没怎么努力?
2.おれとすれば/おまえとすれば
到现在为止,我都没偷过懒,一直在努力着,而你却认为我应该更努力?



AといえばB:話題になったAをきっかけに、思い出した情報Bを提供する。
AというとB:同上。情報Aについて、Bで確認したり説明を求めたりする。

使い分け
ある話題をうけて、連想したことを述べたり、説明を加えたりする場合に、互換性がある。
「Aと+いえば/いうと+B」に互換性がある場合、両者の違いは、一般条件を表わす「~ば」と「~と」の違いに過ぎない。
つまり、前者は「Aと+いえば/聞けば、一般的な常識から考え、当然Bがすぐ思い浮かぶ」という意味を表わし、後者は「Aと+いうと/聞くと、私の経験や知識からして、当然すぐBが思いつく」という意もいが表す。
しかし、置き換えのできない「例:アンデルセンといえば、おそらく知らない人はいるまい。彼は・・・」の場合、両者の違いは際立ってくる。例えば、アンデルセンの童話を翻訳編集したひとは、あとあきの冒頭に、自分の経験から「アンデルセンを知らない人はいないだろう」と言っているはずはなく、世界的な童話作家という一般常識基づいて、アンデルセンを紹介しようとしているはずである。
こういう場合に「~というと」を使うと不自然になってしまう。これが個人的な会話になると、アンデルセンが有名であることを、話してが常識に頼って話そうと、経験によって語ろうと、聞き手の受ける印象が異なるだけである。

参考:
AといえばB:以话题A为契机,提出想到的情报B。
AというとB:同上。关于情报A,向对方确认情报B或者希望对方说明情报B。
使い分け
承接某个话题,叙述联想到的[],或者追加说明的时候,可互换。
「Aと+いえば/いうと+B」可互换的时候,两者的区别就和表示一般条件的「~ば」和「~と」一样。
也就是说,前者表示「对于A,按照常理,自然能联想到B」,后者表示「对于A,按照我的经验或知识,能联想到B」。
但是,当两者不能互换的时候「例:アンデルセンといえば、おそらく知らない人はいるまい。彼は・・・」,区别就非常明显。例如,翻译编辑安徒生童话的人,在后记的开头这样写,并不是想说按照自己的经验“应该没有不知道安徒生的人吧”,而是想把世界级的童话作家安徒生作为一般常识来介绍。
在这种情况下,换成「~というと」就会变得不自然。这样就会变成个人的对话,只会让对方觉得说话人是以他自己的常识或经验来说安徒生很有名。





确实,实际运用的时候基本上是靠语感。问题是语感是怎样培养起来的,如果目标是看小说和动画片,那么看得多了自然就记住了——培养语感是很耗时间的。所谓语法也是这么回事,需要从大量的实际接触,运用中培养出感觉。但是,对新手而言,第一印象如果错了就不好就纠正了。这正是在这里发这些东西的原因,希望各位学日语时少走些弯路。
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全部評論 1

10000
achillesG 平民
个人觉得日语全靠语感

11 年前 0 回復

linxuesong2012 勳爵
宅,动漫爱好者,日语新人,程序员
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