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[其它] 【原创】当年的论文

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发表于 2016-1-17 19:17 | 显示全部楼层 |阅读模式
本帖最后由 zhangyongjia 于 2016-1-17 19:23 编辑

09年写的毕业论文的正文部分,大家可以参考一下。

                                                                      日本の学校教育から見る集団主義

一、はじめに

日本人といえば、我々にとって、一番印象的なものは彼らの集団的な活動である。「日本人のもっとも明らかな特徴は集団主義だ」といわれている。
しかし、このもっとも明らかな特徴は日本人の生まれつきのものではないと、みなさん、知っているであろう。この特徴がどう形成するかを聞けば、答えは日本の教育である。そう、学校教育を通じ、日本人の集団意識が彼らの心の中に移入された。つまり、集団主義は日本の学校教育に大きな影響がある。
そこで、本稿では、集団主義が日本の学校教育に影響することを検証する。
以下では、まず、集団主義とは何であるか、次に集団主義が日本の学校教育に影響する表れ、最後、その功罪について検討してみたい。

二、集団主義の概念と表現

集団主義は日本の学校教育にどんな影響があるかを知るには、まず、集団主義とは何であるかを理解する必要がある。本稿では様々な文献を参考にし、集団主義の概念と表現を説明する。

1、集団主義の概念
では、集団主義とは、いったいなんであるか。アレクサンドル、デウマ、   ペールの三銃士の言葉によると、集団主義は「一人はみんなのために、みんなは一人のために」というスローガンで、個人主義的な成員に、心理的に集団と一体化しようと呼びかける理念である。
しかし、日本的集団主義が、その理念に属するが、まったく同じものであると思えない。なぜなら、日本的集団主義はほかの国の集団主義と違い、日本人の民族性として説明されるのであるから。たとえば、山岸俊男によれば、「日本人は民族性として、集団から離れては生きていくことはできないという本能的な理解や感覚を世界のそのほかの「主要国」と比べ、強く持っているという。その感覚は集団生活をする生き物としては、自然で、素朴な姿である」、と考えられているという。

2、集団主義の表現

日本人は日本人の集団主義をどう見るか。西園寺一晃が「桜と牡丹」の中で、「やっぱり日本人は桜そのものだな、国民性といい、思考方法といい、まさにさくらだ」と述べた。彼は「花と国民性」について大いに議論した。
彼の意見によると、桜はパッと咲き、パッと散る。咲くときも一緒、散るときも一緒である。散り方が美しい。1輪1輪の花はこれといった特徴はなく、目立たないが、樹全体、林全体の花となると、圧倒されるような華麗さと迫力がある。つまり日本人は、行動様式が集団主義的で、規律を重んじ、集団からはみ出すことはしない。一人一人の個性はないが、集団では大きな力を発揮するというのである。
そのほかに、日本人の集団主義に生き生きとした描写がある。ある人が次のような話を話したことがある。「日本人は蜜蜂のように、一人一人の個体は優秀ではないかも知れないが、いったん小さな集団を結べば、協力協調により、強大な力を持つようになる。」
たとえば、トヨタ会社が成立したとき、ただ何人かしかいない小企業であった。当時の欧米国家の会社と比べれば、それに劣るに決まっている。今では世界の500社のひとつになった。小さな会社から大きな会社へと、弱い会社から強い会社へと、激しい競争の中で発展して来た。その創業精神、競争精神、奮闘精神、特に団結精神を我々はよく考えてはならない。
日本人は集団内部の調和を重視する。この調和を維持するために、地位による上下の関係を注意し、この関係を受け入れ、支持する。集団内部では、地位による上下の関係がこの集団に属した時間で決められる。年功序列の原則はその関係の体現である。また、敬語が強まっている上下の関係に大きな作用があるからこそ、日本人にとっては、最も重視されるものである。
社会の調和やいったいの恵みで、日本の財界や政界のリーダーは、簡単に国民を団結させることができる。こんな国民の団結あればこそ、日本は強大な経済成長を実現した。

二、集団主義が日本の学校教育に影響する表現

日本人の集団主義的な行動は彼らのもっとも明らかな特徴であるという事実が我々はもうわかるようになった。日本人の集団主義は社会生活の各方面に大きな影響力がある以上、その例外なく、集団主義が日本の学校教育に影響することがあるに間違いない。では、次に本稿では、集団主義が日本の学校教育に影響する表現を検討する。

1、日常的表現

筆者は日本のアニメ、漫画などが好きである。そのアニメ、漫画の中に、学校生活をテーマとしているものが数多い。その数多くのものの中に一番印象的なのは何だと聞かれれば、生徒たちの制服である。そう、筆者にとって、生徒たちの制服が一番印象的である。なぜなら、彼らの制服は同じ学校にいれば、様式も同じであるから。どうしてそんなことがあるか、無論、これは日本人の集団主義が学校教育に影響する表現である。
日本人の集団的行動は彼らの生まれつきのものではない。彼らの集団的行動は本稿の第一部分に言ったとうり、学校教育を通じ、形成するというのである。つまり、日本人の集団的行動は訓練により生まれたものである。
日本人の小学時代から、数多くの学生は学校のクラブに参加していた。たとえば、体育部、音楽部、文化部など、いろいろある。そこで、生徒たちは専門技術の訓練を受けるより、むしろ集団意識の育成をすることになる。学校の日常の勉強といったら、学校側であろうと、学生側であろうと、部活ほど重視されていない。ある子供は部活の中に人気があれば、彼あるいは彼女が尊重されることができ、異性の子供の熱い視線が感じられるかもしれない。
日本の学校教育では、集団の統制、全体的な傾向が目立つ。全員参加、「クラスのまとまり」などが過度に美化され、強調される。クラス運営や行事をすることがあり、チームのためにプレーすることが賞賛される部活動などがあるのは、その傾向の体現である。
「みんな一緒の軍服のような征服、運動会におけるマスゲームや、軍隊ごときの行進、整列の練習、部活動における先輩や後輩、学年による上級生、下級生の上下関係、服装から日常生活まで、がんじがらめに管理する校則など、ついには、生徒の愛国心を評価するなどとして君が代を歌う声の大きさや態度まで、評価の対象として点数付けられるようになっているのだ」と、ある学生がそういった。この人の話によると、日本の学校教育においては、集団主義、全体主義、管理主義、封建主義、国家権力組織主権的体質が根を張っていることが我々はわかるようになる。
前に説明するのは集団主義が日本の学校教育に影響する日常的表現であるといえるであろう。前の例のほかに別の例がある。仲尾宏が「外国人、教師の目で見た日本の教育」で、こういった。「日本の教育では、いっしょでないといけない。それがうまくいけないといじめが出てきたり、変わったことをする子供へのいじめになる」。ベネチクト女史は、「学校が生徒のことより、学校の評判ばかりを気にしているというのは、多数の中学生や高校生が持つ不満となっているが、個人の権利保障という正義より、集団や組織の名誉のほうが優先する点で、恥の文化は日本の学校では根強いものがあるといえる」と述べた。ここの「恥の文化」は実際、前に述べた集団主義に等しいものである。

2、論理的表現

二十世紀八十年代、アメリカの経済が長い間に不況になっており、失業率が高まっている。しかし、アメリカに学ぶ日本の経済は、大変いい状態を持ち、国家主導型の集団主教育観や画一的な標準の人材育成観に基にし、世界経済第一のアメリカと勝負しようと誓った。アメリカに超えそうな勢いである。それは日本の集団主義教育観のおかげであるといえるであろう。では、次に、日本の教育指導綱領の面で、集団主義が日本の学校教育に影響する表現を検討する。
第二次世界大戦終戦後、アメリカを始め、連合軍の指導の下で、日本は全面的な教育改革を行った。強烈な軍国主意思想を持つ教師が首になり、国家主義を宣伝する日本歴史、日本地理などの課程を停止した。自由主義、個人主義を主導の思想として教育指導観念、教育目標から教育の内容や設置まで、大きな改革を施した。そこで、戦後、日本の教育は、欧米資本主義国家に接近しつつあり学校教育の三つの作用を確立した。

(1)、基本の技能を授けること。たとえば、読写、計算など。
(2)、知識を身に付けさせること。たとえば、各種の具体的な学科の常識。
(3)、社会や集団生活の知恵、他人との付き合いのマナーを身に付け、集団生活に適応すること。

その三つの作用の(3)を見れば、日本の学校教育では、集団意識や集団主義の育成が重視されることがわかるようになるであろう。
具体的に見れば、小学時代の集団主義教育の内容は社会科に体現されている。1948年、文部省は「小学社会科学習指導綱要補充説明」を発表し、社会科の目標は『一言で言えば、非常に適当な公民品質を発展させ、民主社会の公民として持つべき必要な特性を身に付けなければならない。』と、指摘した。具体的な内容は、

(1)、自分がすんでいる世界に正確に適応すること。
(2)、そんな世界の中に、愉快な人間関係が結べること。
(3)、自分が所属する共同体の進歩、発展の促進に努力すること。

この三つの内容を見れば、日本人の集団的行動は、彼らの生まれつきのものではなく、学校教育を通じ、育成されることを確信しよう。
明治維新の前、日本の道徳教育は中国の儒教を母体にした。しかし、この儒教はもともとの儒教ではなく、改造された変形のものである。儒教の教育思想の中には、個性を抹殺する思想がある。明治維新後の学校教育では、そのままそれを継承した。この思想が日本の集団主義教育に似ているものである。筆者は個性抹殺の面から見ると、この思想が集団主義教育に論理的源であると思う。
社会政治、経済の変化、発展とともに、欧米の民主、自由、個性の教育の流れに対し、日本が個性教育も提出する。その目的は、儒教の個性抹殺の思想を排除するというのである。そうしたら、個性を励まし、独創性を発揮させ、資本主義制度に合格した人材が出られることになり、激しい競争に適応することができる。
しかし、今の日本の学校教育では、儒教の思想を完全に排除したといえない。日本の個性教育は、集団の利益に服従し、集団の利益のために勤めることを根本の目的としている。個人の価値の実現は、集団価値の実現を前提としているというのである。集団の利益が重視されること、それこそ儒教の思想である。そこで、日本の個性教育は個性の尊重、自立の現代意識の養成も、集団利益のための自律も含めている。仲尾宏の話によると、日本の教育は個人主義のようにみえており、実は全体主義、集団主義であった。
集団主義教育の手段としては、特別活動というものがある。たとえば、小学には、学生活動、学級指導などがある。中、高校には、学習室、生徒会の活動、部活などがある。その目的は、集団意識の形成を促進し、社会意識を発展させ、個人の創造能力、表現能力を養成するというのである。これらは、特別活動が集団主義教育の有効な手段であると証明する。

三、日本の学校教育から見る集団主義の功罪

本稿では、「集団主義の概念と表現」や「集団主義が日本の学校教育に影響する表現」をすでに述べた。次に、本稿は、「日本の学校教育から見る集団主義の功罪」を検討するつもりである。しかし、その前に、集団主義の形成を検討する。そうしなければ、その功罪を完全に理解することが不可能であると思う。

1、集団主義の形成の原因

では、日本人はどうしてこの集団性を持つのであるか。日本人は同じ日本人の他人に一般的に一種の依頼心理を持っていることが、この集団精神の最大の原因であると、ある人はそう分析したことがある。ある日本人はほかと違うと認められたれ、彼にとって、それは一番恥ずかしいことである。日本人にとっては一番怖いものはそのことであるから、彼らがなんとしてもみんなと同じであると証明することになってしまう。彼らは、自分をある集団あるいはある流れの中におくときしか、安心し、尊重を得ることができない。自分は集団に完全に融合するときしか、自分の位置や価値を見つけない。日本人は、群れや集団に強い帰属感を持っている。彼らは、集団の意思が自分の信念であり、集団の力が無限であると思っている。そのため、人々は、安全感を求めるから、帰属感を持ち、集団への忠誠心や責任感を形成する。個人は集団から離れなく、集団が個人を守る。集団の発展が個人の発展であり、集団の衰えが個人の衰えである。集団中の多くの個人の運命が結ばれており、運命共同体になってしまう。「終身雇用制度」「年功序列」は最も典型な例である。
「日本人論の方程式」では、日本人の集団性をこう説明する。
日本人は、集団的行動の中に自分の意義を発見し、個人主義的な心理要求を認めない。日本人にとっては、集団への忠誠が主要な価値観念であり、集団の利益に自動に服従し、特殊な満足感を得ることになる。
1971年出版された「依頼の構造」では、「文化と個性」という研究の影響を受けたけど、育児と文化との関係および集団的人格の形成の決定的な影響を特別に強調した。作者の土居健郎は、日本人の育児方法を観察し、分析した。そこで、独特な社会化の過程を発見した。土居の研究によると、日本人は生まれたから、社会化の過程の中に親子のつながりを築き、それにもとにし、人間関係を築く。この人間関係を分析したら、幼児の母に対しての依頼が人間関係の核である。そのため、日本人は、大人になった後、家庭の内外にこの依頼と同じな情緒の安定を求める。社会集団でも、親子関係という人間関係の原型が強い作用を発揮している。社会集団内部の上下関係もこれをまね、形成する。上司と部下との関係は、情緒の安定を求めることである、すなわち、感情を養成することである。
以上は、集団主義形成の原因を論理上で分析したけど、一方、集団主義の成立は、日本の歴史的背景と無縁ではない。
集団主義の源は、稲作文化の影響にある。稲作は天候しだいで収得する畑の耕作と違い、水利を修理し、田植えも、収穫などもするには、集団労働や合作が必要なのである。これで、「村」という概念を形成した。「村」は、「群れ」とのかかわりがある。村のぐんたいてき行為は、日本集団主義社会形成した歴史的、文化的背景であるとおもえる。
儒教思想の影響も無視できない。忠孝を重んずるその道徳は、江戸時代以降特に広まり、「家」制度にもつながった。家長は絶対の権力を持ち、家族は「家」に従わなければならない。武士階級にあっては、一朝事あれば、御家断绝と、連帯責任を取らされた。
狭い国土に多くの人口ということも、有力一因であろう。朝晩の通勤電車のさつ人的ラッシュは、外交人のしばしば瞠目するところであるが、当の日本人は甘受せざるを得ないし、住宅事情、がっこう教育等、そこから集団の調和という知恵を身につけるのである。

2、日本の学校教育から見る集団主義の功罪

集団主義には、当然、プラス、マイナスの両面がある。まず、集団主義のプラスの面を検討する。戦後の高度経済成長の原動力となったニッポン式経営は、たとえ一部にエコノミク=アニマルと批判を浴びても、外国から「日本に学べ」の声も出るわけである。これは見本の学校教育のおかげである。日本の学校教育は集団主義との大したつながりがある。なぜなら、集団主義が日本の学校教育に影響するというのであるから。
前に述べた戦後日本の高度経済成長は、日本の国家主導型の集団主義教育観画一的な標準の人材養成観とはなれない。日本の前文部省大臣荒木万寿夫は、「明治時代から今日まで、わが国の社会や経済の速やかな発展は特に戦後の経済高度成長は、世界中に驚異的に重視されていた。このようなじょうきょうが発生した重要な原因は、教育の普及や発展にあるといえるだろう」といったことがある。具体的にいえば、日本教育の重要さは以下の四つの面に体現している。

第一、        教育は日本に優秀な管理人材や経営頭脳と管理才能を持つ経営者を提供している。
第二、        教育は日本に優れた科学人材を提供している。
第三、        教育は日本に品質の高い労働力を提供している。

戦後日本の高度経済成長は、前に述べたように日本の教育とはなれない。日本の学校教育はこの国家主導型の集団主義教育観や画一的な標準の人材養成観を体現している。戦前、戦後の教育内容には大きな変化があるが、国家、社会を建設し、積極的に国家、社会の活動を参加するという内容が終始継がれた。これは日本人の集団主義価値観に大したかかわりがある。これは日本の学校教育から見る集団主義のプラスの面であるといえるであろう。
集団主義に生徒の管理、統治しやすいなどの長所はあるが、もっとも短所、問題点を認識し、取り組む必要があるのではないか。ある教師は、中日の大学生の違いについては、「日本の学生は、自分の考えをあまり言わない」といった。日本では、授業の時、教師から生徒に知識を注入し、あまり議論がないし、せいとは聞くだけで、発言をする機会が少ない。こんな授業の中で、生徒は不言実行を行う。それは、日本の学生は自分の考えを言わないことの原因であろうか。
日本の学校教育では、差を認めなく、個人の伸張をはかるよりも、平均的な人間を育成することに走りやすい。個人の差を認めないのが、戦後教育の最大の欠陥ではないか。このような教育により育成される人間は画一化、無個性、権威集団への盲従、悪平等、個人としての思考、意思表明能力の欠如、主体的な個人として責任をとる習慣などの欠点を持ちやすいと思われる。このようなことをすれば、心の内面には蓋をし、外面だけは点数のために行動するロボットのような人間が生まれてくるであろう。「強い子を育てる」では、「点数の物差一本で、子供を判断するという見方をすると、集団を構成している子供の一人一人の個性というものは、見落とされてしまいます」といったのは、そのためであろう。また、日本の学校内で特定な生徒などを対象とした集団いじめが頻発したのも、この集団的体質、体制が原因であろう。この集団いじめが、均一な価値観による統制により、少数派や個性派に対する数の力によるものであるから。

四、終わりに

本稿では、集団主義、特に日本の学校教育から見る集団主義について考察した。その結果、集団主義が日本の学校教育にプラス、マイナスの両面があるという事実が示された。この事実はわが国の教育改革にとって、重要な参考になるであろう。そのプラスの面で、わが国の経済成長や人材養成にとって、強大な支えとなるであろう。同時に、意思表明能力の欠如、無個性、権威集団への盲従などという欠点を注意しなくてはならない。このことを考える際には、ほかの国の学校教育に注目することが必要であろう。これは今後の課題としたい。

参考文献
[1] 青木保.日本文化论的变迁.中国青年出版社.2008.
[2] 李娜.世界人氏血脉书系--日本人.东方出版社.2008.
[3] 安双宏.论全面主义教育-日本中小学道德教育基本方针.比较教育研究1991(3).
[4] 鐘 清漢.教育社会学ーー教育と人間と社会.アジア文化総合総合研究所出版
  会.1996.
[5] 城户幡太郎ら.強い子を育てる.童心社.1970.

发表于 2016-1-20 22:02 | 显示全部楼层
我还是第一次见有人用日文来写论文。楼主,你是读日语专业的吗?还是在日本留学写得论文啊?
 楼主| 发表于 2016-1-20 23:35 | 显示全部楼层
x-rounder 发表于 2016-1-20 22:02
我还是第一次见有人用日文来写论文。楼主,你是读日语专业的吗?还是在日本留学写得论文啊? ...

学校要求的,之前都是中文的,后来就全改成日语的了
发表于 2016-1-21 04:40 | 显示全部楼层
是日文专业的卒論吗
感觉我现在赶稿的卒論参照不上就是了、我写的是「ゆるキャラがもたらす地域活性化」
写毕业论文真够麻烦的
 楼主| 发表于 2016-1-23 08:30 | 显示全部楼层
zjj900214 发表于 2016-1-21 04:40
是日文专业的卒論吗
感觉我现在赶稿的卒論参照不上就是了、我写的是「ゆるキャラがもたらす地域活性化」
写 ...

确实很麻烦,当时写了3个星期
发表于 2016-1-29 15:37 | 显示全部楼层
额 这日语水平得多高~~09年记得当年我还是个小屁孩
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