「教室は学生に掃除された。」
結論から言うと正しくありません。
なぜ正しくないのか、少し調べましたので以下にまとめます。
【例文】
➀オリンピックは(開催国によって)4年に一度開催される。
➁金閣寺は足利義満によって建てられた。
➂壁が何者かによって壊された。
これは受身文の中でも「非情の受け身」と呼ばれるもので、主語が物や事であるのが特徴です。
それぞれの動作主を見ますと、このような特徴があります。
➀「開催国」はわざわざ言う必要がない。
「教室は学生に掃除された。」
この文の動作主は「学生」です。
学生は有名人ではありません。
だから間違いだと言えます。
これと同様「水は私に飲まれた。」「本は彼に読まれた。」も間違いです。
このような場合は受身文を使わず、以下のように単純に表現するといいですね。
「私は水を飲んだ。」
「彼は本を読んだ。」
かなり詳しい文法的な解説ですから、気合入れて教えるのはちょっとおすすめできません。
学生に教える時は「普通は “学生は教室を掃除した” でいいんだよ」って言うだけで十分でしょう。
そうねー 「掃除」のせいじゃん!
「掃除」という単語は日常的すぎ…
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「○○ は ○○ に ○○された」という言い方には『非日常さ』が感じられるのかもしれない。
『教室』じゃなくて『ベッドの下』ではどうだろう
➀、「ベッドの下が(母さんに間違いない!)掃除された!」 ?
➁、X
➂、「え、ベッドの下は みんなに 掃除された?」
④、「ベッドの下は 誰かに 掃除された」
って、ちょっと自然になったのかな?
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例文偏向于陈述客观事实的语感, 和黑猫的『非日常さ』理论好像不太一样...
黑猫去翻实例看...
そうですねー 「学生」か「掃除」かどこかに注目すべきかがよく分かりませんでしたなー
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